常善寺の歴史
常善寺は、今からさかのぼること300年前の寛延元年(
真浄院日惣(
氏は、正徳4年(1714)に誕生し、幼名を甚之助といいました。多くの病気に苦しめられ、父親の家業を継ぐことができず、そのために今里村に別荘を構えて、専ら精養に努めていたのです。
その性格は温厚篤実にして、学問を好み、さらには書に精励されたといわれています。
しかしながら、元文元年(1736)9月10日に、23才という若さで、この世を去りました。
父母は、先立つ息子を悲しまれ、その遺された荘園を精舎としたのです。
そして、本経寺(現在 大阪市中央区中寺)第8世であった真浄院日惣上人を初代住職として迎え入れました。
息子の追善菩提のために、私有地の田園(一町三段余)を寄付したのです。
その後、寛延元年(1748)の秋に、「常善寺(じょうぜんじ)」と寺号を公称しました。それ以来、300年近くも連綿と法灯が継承されているのです。
紀州の士であった嶋本甚左衛門の息子である甚右衛門に始まります。
なお、歴代住職のうち、泰系院日舜上人以降、行学院日楽上人までの間は、大阪本経寺が兼務の状態を取っていたり、またあるときには、尼僧を遣わして寺院の運営や管理等を代行させていたとも伝えられています。
平成18年(2006)8月には、日蓮聖人立教開宗750年記念事業として、永代供養廟を建立し、また翌年には現在の本堂を落慶しました。
現在は、第16世の山下宗秀(やましたそうしゅう)が住職をつとめております。
「歴代住職・歴代廟」
開基 真乗院日惣贈上人
2世 父啓院日如上人
3世 本教院日敷上人
4世 真啓院日俊上人
5世 広宣院日湛上人
6世 日心上人
7世 善乗院日詮上人
8世 智善院日報上人
9世 大法院日宗上人
10世 泰系院日舜上人
11世 行学院日楽上人
12世 事行院日住上人
13世 本持院日揮上人
14世 深行院妙秀日皐法尼
15世 覚善院日竣上人